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​九谷焼の歴史

古九谷買取 骨董買取

古九谷

江戸時代、明暦(1655~1658)から元禄(1688~1704)にかけて加賀国九谷で焼かれたとされる磁器

​再興九谷

古九谷の廃窯から約1世紀後の文化4年(1807年)に加賀藩が京都から青木木米を招き金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という

​金沢市(金沢藩)

1. 春日山窯(文化4年-1807年

2. 民山窯(文政5年-1822年)

​小松市・能美市(能美村)

3. 若杉窯(文化8年-1811年)

4. 小野窯(文政2年-1819年)

5. 蓮代寺窯(弘化4年-1847年)

加賀市(江沼)

6. 吉田屋窯(文政7年-1824年)

7. 宮本屋窯(天保3年-1832年)

8. 松山窯(嘉永元年-1848年)

9. 木崎窯(天保2年-1831年)

能登​

10. 正院窯

11. 梨谷小山窯

その他

12. 粟生屋源右衛門

13. 九谷庄三

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春日山窯

1807〜1818

春日山窯は、九谷古窯が閉ざされてから100年以上経った加賀の地に、京から招かれた青木木米と助工の本多貞吉によってもたらされた磁器の最新技術をもとに、加賀藩の殖産興業の意図から興された窯です。この窯が開かれたことにより加賀藩に磁器生産の機運が広まり、この窯の呉須赤絵写しがその後の「加賀赤絵」の発展に影響を与えることになりました。

春日山窯買取 アンティーク買取
民山窯買取 アンティーク買取

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民山窯

文政5年~弘化元年(1822-1844)

春日山窯が廃窯されたのを惜しみ、加賀藩士武田秀平が『民山』の陶号で築いた窯が民山窯です。

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若杉窯

1811年に能美の若杉に、林八兵衛が本多貞吉を陶工にして開いた窯

若杉窯 石川県骨董買取
小野窯 石川県観光

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小野窯

1819年に能美の小野に、本多貞吉の門弟であった藪六右衛門が開いた窯

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蓮代寺窯

小松の松屋菊三郎が、弘化四(1847)年に蓮代寺地区に開いた窯である。

 

松屋菊三郎は、粟生屋源右衛門に製陶を学び、斉田伊三郎、古酒屋孫次に陶画を学んだ。 その後、摂津、京都で学び開窯に至った。

蓮代寺窯 石川県骨董屋ランキング
吉田屋窯 金沢道具買取

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吉田屋窯

加賀大聖寺の豊田伝右衛門による出資で、本多貞吉の養子である本多清兵衛、粟生屋源右衛門の古九谷再興の意志を受け、 古九谷の地である大聖寺藩領九谷村で開かれた窯で、窯の名前は伝右衛門の屋号である吉田屋とした。

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宮本屋窯

宮本窯は、天保二(1829)年に廃窯となった吉田屋窯を、当時支配人であった宮本屋宇右衛門が譲り受け、 4年後の天保六(1835)年に再興した窯である。

 飯田屋八郎右衛門を主工とし、赤絵細描の優品を多数制作した。 その為、陶工のほうが著名になり、宮本窯の赤絵を「八郎手」、「飯田屋」と呼ぶようになった。

宮本屋窯 石川県金沢市の骨董買取なら山崎美術工芸館
松山窯 石川県能美市の骨董買取なら山崎美術工芸館

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松山窯

大聖寺藩が嘉永元(1848)年に、江沼郡勅使村松山の山本彦左衛門に命じて築窯させたのが松山窯である。 松山窯は、半民半官窯で藩の庇護を受けており、主に大聖寺藩の贈答品を生産した窯で、 「松山の御上窯」と呼ばれていた。藩政末期に藩が、山代の永楽窯(九谷本窯)を援助する為に、松山窯の保護を廃止し民窯となり、 木下直正、表喜左衛門、長左衛門、忠左らが引き継ぎ、明治五(1872)年まで続いた。

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木崎窯(木崎万亀)

寛政十(1798)粟生屋源兵衛、小松に楽窯開窯
粟生屋源右衛門、小松で楽焼きを生業とする家に生まれ、その後、若杉窯の本多貞吉に師事し、 文政六(1823)年に本多清兵衛と共に九谷村にて吉田屋窯を築く。小野窯、蓮代寺窯、松山窯に携わり、 九谷焼の発展に尽力した。 晩年、楽焼きの一種である洛陶を開発し、名品を多数残した。

天保五年に、木崎窯の木崎卜什の長男として、山代新村で生まれる。 幼少の頃より父卜什に学び、17歳にして木崎家4代を継ぐ。 万延元年に、京都の名工永楽和善に師事する。文久2年に、卜什が春日山に窯を開き、万亀も移る。 慶応元年、大聖寺藩の命により、京都より師の永楽和善を山代に招き、 九谷本窯(永楽窯)開窯に人力を尽くす。明治九谷を代表する、赤絵の陶工である。

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正院窯 石川県金沢市の骨董買取なら山崎美術工芸館

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正院窯

能登珠洲州郡正院村に開かれた窯で、この村の弥蔵という人が開いたため、別に「弥蔵焼」ともいう。九谷をはじめ、その他の陶業地から陶工を招いており、その中には若杉窯で赤絵を行っていた勇次郎もいたとされる。素地は厚手で、素地の悪さを隠すため塗埋手としているものが多い。画題は唐獅子や鯉など加賀の九谷にはない新たな意匠のものがある。開窯の時期は文政末または天保初年頃から嘉永年間と考えられている。

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梨谷小山窯

能登国羽咋郡梨谷小山村西性寺で焼かれた

焼き物。

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粟生屋源右衛門

粟生屋源右衛門(粟生屋窯)(1789〜1858)

寛政十(1798)粟生屋源兵衛、小松に楽窯開窯
粟生屋源右衛門、小松で楽焼きを生業とする家に生まれ、その後、若杉窯の本多貞吉に師事し、 文政六(1823)年に本多清兵衛と共に九谷村にて吉田屋窯を築く。小野窯、蓮代寺窯、松山窯に携わり、 九谷焼の発展に尽力した。 晩年、楽焼きの一種である洛陶を開発し、名品を多数残した。

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九谷庄三

化九(1826)年に若杉窯に入り、赤絵勇次郎に師事。天保三年に小野窯に招かれ赤絵細描、 粟生屋風色絵の優品を手がけた。 天保一二(1841)年に故郷の寺井にて絵付窯を築く。 慶応元(1865)年に色絵金襴を完成し「庄三手」と言われる九谷の代表する画風を残した。

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